独断と偏見のねぎま鍋論

ねぎま鍋ができたのは江戸時代末期の事です。
江戸末期に沖合を流れている黒潮が少し陸地に近づいて流れるようになりました。
黒潮に乗って泳ぐ鮪も陸地の近くを泳ぐ事になります。たまたまそのうちの何匹かが間違えて江戸湾に入ってきました。漁師さんが釣り上げて魚屋さんが販売しました。
江戸の人は初めて鮪を食べたのではないでしょうか。
当時江戸の人達は脂質の多い食品は食べません。初かつおは食べますが脂質の多い戻りかつおは食べないのです。
(脂質の多い魚は下魚として扱われました。脂質の多い食品を食するようになるのは明治時代になり牛鍋を食べるようになってからです。)
鮪も赤身の部位は食しますがとろの部位は食べません。とろの部位は超格安で販売されました。(捨てたと言われていますが私は噓だと思います。)
庶民はそれを求めてねぎと醬油で鍋にして食しました。
もちろん色々試行錯誤した後だと思いますが江戸庶民の食への感性は凄いと思います。
ねぎま鍋は戦前までは庶民の食べ物でした。
戦後保冷技術、保冷機器、冷凍技術、冷凍機器の発達、食生活の変化によってトロが珍重され高価な食品となりねぎま鍋もいつしか高級料亭の献立となってしまいました。

   ねぎま鍋

 

 

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