「俺の若い頃は築地に魚市場があったんだよ。」
築地市場の豊洲移転が平成28年11月1日と決まりました。
オリンピックの東京開催が決まった時「豊洲移転は早まる。」と覚悟はしていましたが…。
私が築地市場に通い始めた46年前はまだトラック輸送は少なく主に貨車輸送と水上輸送でした。
汐留駅(今はありませんが)から市場まで引き込み線が引かれていて沢山の貨車を連ねた列車が汐留駅と市場を往き来していました。
隅田川沿いの岸壁には大きな船が何隻も横着けして荷揚げをしていました。
昭和50年代になりますと道路網の整備が整い、冷蔵保存輸送技術の進歩により陸送が主流となり貨車輸送、水上輸送は廃止されました。
引き込み線はレールを撤去して緑道としてその名残を留めています。朝日浜離宮ビルの横に新橋方面に続く細い緑道がそれです。機会がありましたら歩いてみてください。岸壁に船が横着けすることは今はありません。
そしてなりより「たーちゃん(私です)俺の若い頃は日本橋に魚河岸があったんだよ。」とおっしゃるご主人が沢山いらっしゃいました。
皆さんのお話ですと大正12年の関東大震災で日本橋魚河岸は壊滅状態となり
半年後に当時海軍省が所有する築地外国人居留地を借りて中央市場を造る事が決定しました。完成までの間は埋め立てして間もない芝浦に臨時の魚河岸を造り営業したそうです。昭和10年に築地市場が完成して現在に至っています。
この時から呼称が魚河岸から魚市場に変わりました
私が通い始めた頃は周りには高い建物は一つも有りませんでしが、今は高層ビルが建ち並び東京タワーも見えなくなりました。
「俺の若い頃は築地に魚市場があったんだよ。」
こんな言葉を若いお客様に言えるまで「だんらん」を続けられる事を願っています。