独断と偏見の鮒ずし誕生論
調子に乗って独断と偏見の鮒ずし誕生論です。決して信用しないで下さい。
現在の寿司の原型といわれている鮒ずしは西暦750年ごろ中国から伝えられたと記載されています。
この頃の日本は奈良時代ですから都は奈良にありました。
伝えたのは遣唐使と一緒に日本に来た中国の人たちだったと思います。
遣唐使が日本に帰ってくる時、唐の帝の命により唐の知識人、お寺などを造る技術者、職人も一緒に日本に来ました。
知識人は都に、技術者、職人は都に近い琵琶湖畔(現在の大津市)に住まいを与えられ住まいしました。
帝の命とは言え見知らぬ土地、見知らぬ人、通じない言葉、違う食生活、望郷の思いは如何ばかりだったでしょう。
「故国で食べていた酸しを食べたい!」「でも草魚はいないよ。」「そうだ!目の前の湖に大きな鮒がいる。鮒で作ってみよう!」こうして試行錯誤の後、二ゴロ鮒での酸しが出来上がります。
当時はお米も塩も貴重品でしたから、技術者も職人さんも高待遇だったのでしょう。出来上がった酸しは宮廷に献上された。と記録にありますが、こんな臭くって酸っぱい食べ物を天皇陛下が召し上がったとは思えません。
宮廷内の唐から来ている知識人たちへのおすそ分けだったと思います。
近所の人たちはこの人たちから作り方を教えてもらい、郷土料理として現在に伝わっています。
現在のはとても食べやすくなっているそうですが、記録どうり作りますと
とても臭く、とても酸っぱいものです。
「酸し」とは酸っぱいものという意味だそうです。
独断と偏見の自論です。決して信用しないで下さい。