今年も奇跡の日々に感謝して

今年もおかげさまで無事に終わろうとしています。
23年前の12月13日、夕方ごろからあや子さんの腹痛は始まり、深夜には失神するほどの激痛となりました。
深夜にもかかわらず駆けつけてくださったお医者さんは「すぐ手術をしなければ命の危険性があります。」医師は病院の手配、病院の医師へ容態説明をして救急車も呼んでくださいました。救急車が来ると「○○病院の○○先生にお願いしてあります。」と伝えてくださいました。
救急搬送先の病院で診察を受けているあいだに事務の方に言われ入院手続きをします。手術の窓口で手続きをし、次は入院の窓口で手続きを終えて診察室に帰ってくるのですがその間はまるで雲の上を歩いているような感じでした。
診察が終わり手術室に入る前、執刀医は私に「最善を尽くしますが今の検査状態から考えますと奥様を助けるのは難しいかと思います。お知らせするご親族にはお知らせをして下さい。」私に告げて手術室に入ってゆきました。
あや子さんの姉に入院を知らせ兄弟への連絡をお願いしました。
今でも兄弟の宴席でからかわれます。「あの時の平田くんの声は今にも泣き出しそうだったよな。」(電話した時は病院のトイレで大泣きした後ですよ。言えませんけど…)
薄暗い手術室前に戻り一人手術の終わるのを待ちます。
長い長い時間がゆっくりと過ぎてゆきます。2年にも3年にも感じるような時間です。
その時思ったのです。「昨日と同じ今日が来て,今日と同じ明日が来ると思っていたのは大きな錯覚だったんだ。同じように過ごせていたのは奇跡だったんだ。
本当は昨日と今日そして明日は同じようには続かないんだ。」
3時間半が過ぎ扉が開きました。執刀医が少し気恥ずかしいそうな感じの顔で「奥様の命は大丈夫です。」と私に告げました。
へたり込みそうな私を別室に案内して手術の経過、結果を説明して下さいました。この時の説明の記憶があまりありません。「助かったんだ。良かった。万歳」この言葉が私の頭の中を支配していてよく覚えていないんです。
この日以来起床すると今日の無事を祈り、就寝時には感謝の祈りをするのが日課となりました。
お陰さまでその後あや子さんは恙無く過ごしています。
時折諍いもします。でも手術室の前で「どんな状態でもいいから生きていて欲しい。」と願い祈った時を思い起こせばどんな時も笑えるようになりました。
今年も奇跡の日々が続いた事に感謝しています。
新しい年が始まります。また365日の奇跡の日々が続く事を切に願っています。