しろばんば?

avatar昨年の今ごろ近くを歩いていた時、白い物が2つ3つ浮遊しています。
「しろばんば?まさか今は初夏だよ。」そっと手にしてみると50年ぶりに見るしろばんばです。子供の頃手にしたしろばんばはもっと太っていてやさしい顔だったように思うのですが、「秋になると太るのかな?」
今年も見ました。今回は10数匹です。
田舎ではどの子も親から「しろばんばは綿毛を少しでも傷つけると死んでしまう弱い虫だから触ってはだめだよ。」と教えられているせいか誰も捕まえるような事はしません。井上靖著「しろばんば」では子供がしろばんばを追い回す情景がありますが、捕まえて楽しい虫ではないので子供たちには人気がありません。。
晩秋の少し湿度のある気だるい日の夕方どこからともなく数百、数千のしろばんばが現れ群舞します。映画「アバター」の中で主人公ジェイクに沢山の木の精が留まるシーンがありますが、何もしないで群舞を見ているといつの間にかその群舞の中に居てジェイクと同じようになります。
shirobanba少し時間が経つとかき消すように消えてしまいます。
秋にはもしかしたらしろばんばの群舞に遭遇できるかもしれません。
皆様も晩秋の夕方 目を凝らして下さい。もしかしたらしろばんばに遭遇するかもしれません。おしりに綿毛をつけ、ゆっくり飛ぶ小さな虫です。

おじさんは私たちのキューピットです

20150507imge何年か前の事です。
時折ご来店いただくカップルのお客様 今日はお母さんと娘さんとでご来店のようです。終始ニコニコ顔で楽しそうに話されています。
「そろそろお帰りになるのかな?」と思っていると「おじさん 私 明日結婚式です。」
「えーそれはおめでとうございます。もちろんいつもの彼とですよね。」
「そうです。おじさんはきっと知らないと思うけどおじさんは私たちのキューピットなんですよ。」「えー私 何かしました?」
「私たち初めてこの店に来た時、見知らぬ同士だったんですよ。たまたまそれぞれ同時に入って来たからおじさんが二人連れと勘違いして…その時お店も混んでいてこの席二つしか空いてなくて並んで席に着いたんですけど…おじさんが勘違いして色々彼に聞くもんだから別々ですと言いそびれて…そしたら彼は別々ですと言わないで色々頼み始めるし…彼がお会計してお店を出てから 割り勘にしてください。と言ったら いや僕が勝手に頼みましたからいいですよ。と言って受け取ってくれないんですよ。結構長く押し問答して 来週の同じ曜日、同じ時間にここでまた食事をしましょう。その時は私がお支払いします。という事になって連絡先を聞いて別れたんです。それで翌週ここで食事をしてお付き合いが始まったんです。だからおじさんは私たちのキューピットです。」
「そうですか初めてご来店いただいた時を良く覚えていますけど、てっきりお二人様だと思ったので…」
「私たち私の実家の近くに住む事になったので、もう桜上水から二人とも引っ越ししました。でもおじさんにはどうしても話ししたくて今日来ました。」
そう言って満面の笑みでお帰りになりました。
その後お見えになっていませんがお幸せに暮らされている事と信じています。
鏡に映る我が姿はとてもキューピットとは言い難いのですが…

「俺の若い頃は築地に魚市場があったんだよ。」

築地市場の豊洲移転が平成28年11月1日と決まりました。
20150423オリンピックの東京開催が決まった時「豊洲移転は早まる。」と覚悟はしていましたが…。
私が築地市場に通い始めた46年前はまだトラック輸送は少なく主に貨車輸送と水上輸送でした。
汐留駅(今はありませんが)から市場まで引き込み線が引かれていて沢山の貨車を連ねた列車が汐留駅と市場を往き来していました。
隅田川沿いの岸壁には大きな船が何隻も横着けして荷揚げをしていました。
昭和50年代になりますと道路網の整備が整い、冷蔵保存輸送技術の進歩により陸送が主流となり貨車輸送、水上輸送は廃止されました。
引き込み線はレールを撤去して緑道としてその名残を留めています。朝日浜離宮ビルの横に新橋方面に続く細い緑道がそれです。機会がありましたら歩いてみてください。岸壁に船が横着けすることは今はありません。
そしてなりより「たーちゃん(私です)俺の若い頃は日本橋に魚河岸があったんだよ。」とおっしゃるご主人が沢山いらっしゃいました。
皆さんのお話ですと大正12年の関東大震災で日本橋魚河岸は壊滅状態となり
半年後に当時海軍省が所有する築地外国人居留地を借りて中央市場を造る事が決定しました。完成までの間は埋め立てして間もない芝浦に臨時の魚河岸を造り営業したそうです。昭和10年に築地市場が完成して現在に至っています。
この時から呼称が魚河岸から魚市場に変わりました
私が通い始めた頃は周りには高い建物は一つも有りませんでしが、今は高層ビルが建ち並び東京タワーも見えなくなりました。
「俺の若い頃は築地に魚市場があったんだよ。」
こんな言葉を若いお客様に言えるまで「だんらん」を続けられる事を願っています。

串揚げ屋さんにて

年に数回ですがお伺いする串揚げ屋さんに伺いました。
するといつもの初老のご主人ではなく30代半ばの方が揚げてくださいました。
いつも通りにでてきます。つけだれもキャベツもいつもと変わりありません。
でもいつもより美味しいのです。
fly「何が違うんだろう?」と考えながら数年前の串揚げ屋さんを思い出しました。
新宿で映画を見た後、時折お伺いする串揚げ屋さんです。
開店した時からですから30年近くなるでしょうか。いつも私と同世代の店長さんが揚げてくださいます。
ある日お伺いすると店長さんでなく、いつも横でアシストしていた方が揚げてくださいました。いつも通りでてきます。つけだれもキャベツもいつもと変わりありません。でも美味しくないのです。
何かの間違い?私の体調?などと考え翌週また伺いました。
やはり美味しくありません。「あなた私の事嫌いですか?」と問いかけたいほどです。以後その串揚げ屋さんには伺っていません。
我が身にも同じ事がいえると思います。いつも我が身を鏡に写し、俯瞰の心で我が身を省みる事を忘れてはならないと思いながら家路につきました。

あや子さんとオリオン座

昨夜はとても寒く風も強かったため,めずらしくオリオン座やシリウスがよく見えました。(以前はもっとよく見えたのですが、目が悪くなったのか空気が悪くなったのか)結婚して間もない冬に東京に大雪が降りました。
その頃は渋谷駅からバスで10分程の所に住まいしていました。
駅に着くとバスが大通りでがスリップ事故を起こし通りを閉鎖してしまったため、路線バスの運行が中止になっています。
タクシー乗場に並んだのですが長蛇の列、暫く待ちましたがタクシーは来てくれません。やむなく歩くことになり大通りを歩き出しました。
足元に気を使っての歩みです。二人とも無言です。
40分ほどで住まいの近くにたどり着きました。
20150201ayako大通りから住まいへの細道に曲がると、そこは誰も通っていない降り積もった雪道です。すると雪国育ちのあや子さんの顔が輝き、雪をボールにして私に投げてきます。戯れながら帰ります。笑いながら幾つも雪のボールを投げてくるあや子さんの後にはオリオン座が輝いています。
「男として夫としてこの笑顔が曇らないよう。」そう思った雪の夜です。

七草粥を食べたのに

1月7日某飲み屋さんで食事をしていました。
「今日は七草粥の日ですので、七草粥がサービスですがいかがですか?」
「ありがとうございます。いただきます。」
七草粥を食べながら「日本の歳事は何々の日には何々を食べると風邪をひかない。と言うのが多いな。冬至かぼちゃ、どんど焼きの餅etc、etc、古への人達は風邪は万病の素と恐れ,子供たちには好き嫌いの無いように考えたのかな?」
そんなアカデミックな事を考えながらい家路につきました。
ところが2・3日後咳が出始めました。
咳止めを飲んでダメ、風邪薬を飲んでもダメ、やむなく内科医院へ。
service伺った内科医はご高齢です。シュポシュポ血圧計で血圧を計り聴診器を胸にあて「あ!気管支炎です。2、3日薬飲んでいれば治りますよ。しばらくぶりですからサービスでレントゲンをとりましょう。なあにお金はいいですよ。サービスですから。なにかありましたら電話しますから携帯電話の番号を教えてください。」
夜半に電話が鳴り「平田さんレントゲンの結果を説明しますので明日寄ってください。」
ところが翌日は忙しく、翌翌日に伺うと「平田さん肺炎です。これよりひどくなると入院です。そうもゆかないと思いますので薬で治しましょう。この薬を飲んで明後日来てください。強い薬ですから治りますよ。ではお大事に。」
3日後に伺いますと「どうですか?またサービスでレントゲンを撮りましょう。何かありましたらまた携帯電話に電話します。」
家に帰り雑事をしていますと夜半過ぎに電話があり「平田さん。肺炎 治っていますよ。残っている薬全部飲んで下さい。それで90パーセント治ります。まだ治らないようだったら来て下さい。ではお大事に。」
「七草粥を食べ、インフルエンザの予防接種を受けたのに‥.今年は健康には留意して過ごそう。」
新年の思いがけない肺炎騒動でした。
皆様もお大事に。

来年の手帳を求めました

来年の手帳を求めました。
私の手帳はその日にご来店頂いたお客様と、お寿司をお届けしたご家庭、そしてその日のコメントを書き留めるだけなので、立派な手帳ではありませんが30数冊にもなりました。

memo古い手帳を開くと嫌だったなと感じた事が多く書き留めてありますが、最近の手帳には笑えるコメントが多く書き留めてあります。
歳を取ると嫌な事や辛い事に鈍感になるのかも知れませんね。
日々を笑って過ごせることに感謝しています。
新しい手帳にもまた大晦日の日まで笑えるコメントが書き留められるよう祈りながら。

また同じ夢を見ました。

また同じ夢を見ました。
毎年今頃必ず見る夢です。
朝起きると12月29日午前7時30分「いけない!寝坊した!今日は魚市場の年内最終入荷日だ!」慌てて魚市場に駆けつけると、ゆく店、ゆく店 片付け始めていて相手にしてくれません。途方に暮れているところで目が覚めます。
「この夢いつまで見るのかな…まさか店を止めても見るのかな…」苦笑しながら魚市場に行く支度をします。
今頃になると目覚めるとまずカレンダーを見て、日にちのチェック、曜日のチェック、時計を見て時間のチェックが最初の確認事項となります。

丁寧に、丁寧に

「お寿司を握っているとき何を考えているのですか?」と問われたら「何も考えていません。」と答えるしかありません。
sushiko「美味しいお寿司を造る事を考えています。」などと大それた考えを持って造った寿司は美味しくありません。
心の内では「丁寧に、丁寧に。」と思いながらも、何も考えず無心に握ったお寿司が美味しいのです。
「丁寧に、丁寧に」とゆっくり造っていたらお寿司は死んでしまいますから。
「手早く丁寧に」は「美味しくなあれ!美味しくなあれ!」のおまじないと同じかもしれませんね。
店主敬白(軽薄?)

石の上にも3年

今年も開店記念日を迎えることができました。支えてくださっているお客様、あや子さん、純ちゃん、市場の方々、皆々様に感謝致しております。ありがとうございます。
開店記念日は我が家の色々な記念日の中で私には一番感慨深い日です。
ishinouenimo志を掲げて船出したのですが、来る日も来る日も雨、風、嵐の連続で心休まる日はありません。3年を過ぎたころから自営業に慣れたのかそれとも悟ったのか、ボロボロになった心が少しずつ繕われるようになりました。。
母が寿司の見習で上京する日「石の上にも3年という教えがある、3年は辛抱しなさい。3年辛抱してもダメだったら帰って来ても良いけれど。それまでは帰って来るんじゃない。」そう言って送り出されました。
どんな事も3年耐えると成就する道しるべが見えてくるという教えなのかもしれません。
掲げた志の旗は36年間の雨、風、嵐でボロボロ、ズタズタになりましたが、色褪せる事なく今も胸の中で旗めいています。
店主敬白(軽薄?)