独断と偏見のなぜお寿司にわさびを入れるのか論

なぜお寿司にわさびを入れるのか何のために入れるようになったのか明確な資料がありません。これは私の独断と偏見のわさび必要論です。
元禄時代江戸の町には上方寿司(箱寿司)のお店が多くありました。
奢侈禁止令が出されるとお寿司は贅沢品となり全ての店が廃業しました。
その後はお役人の目を盗んで販売していたか、家庭で作って食べていたか…
江戸時代末期華屋与兵衛さんが江戸前寿司を考案するまでの期間お寿司の記録がありません。
禁止令が出され日常からお寿司が無くなり江戸前寿司を考案するまでには箱寿司から変遷した色々なお寿司が家庭?(あるいは…)で作られていたと思います。
華屋与兵衛さんはその中から良いところを集大成して江戸前寿司を考案したのだと思います。
箱寿司は長く保存出来るように具材、舎利に工夫がされています。
江戸前寿司は生ものを長く保存出来るようにした食品です。このため保存出来るように色々な薬味、香辛料を用いたと思います。その中から殺菌効果があり味、香りが適している山葵を用いたのではないかと思います。
江戸前寿司を考案した時からわさびは保存のために寿司の中に入れたのだと思います。
江戸前寿司は瞬く間に江戸市中に広まってゆくのですがなぜ華屋与兵衛さんのお寿司はお咎めが無かったのでしょうか?ここが納得できないところです。
私の独断と偏見ですから信用しないで下さい。

独断と偏見ですが舎利は3つあると理想のおすしが…

久しく前から思っているのですが舎利は3つあると思い描いているお寿司が作れるのかなと思います。
鮪、いか、白身魚は米酢の舎利、しめ鯖、小肌等々〆物はもう少し甘めの
米酢の舎利、貝類は赤酢の舎利、3つの舎利があるとより良いお寿司ができるのではないかと常々思っています。
だんらんが高級店になったら絶対そうしようと淡い夢を描いていました。
先日あるお寿司屋さんのご主人が随筆に同じように書かれていて「思っているのは私だけではないのだ。」と感動しました。
もちろんそのご主人のお店も舎利は一つだけだそうです。
その後の言葉に打ちのめされました。「それでネタを舎利に合わせに行きます。」
「そうだ!なぜ今迄こんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。」
でも「言うは易く行うは難し」で小肌、鯖の塩加減はどうするのか、貝類には
どの様な手当をすれば良いのか、赤酢は個性が強いし…問題は山積みです。
僅かの残り時間でどこまで出来るのか…。
このご主人のお寿司屋さんへ行って小肌を食べてみたいのですが一人の客単価が
3万円はちょっと…一見さんお断りみたいだし…。

 

なぜ寿司1ヶを1貫と言うのか?

修業にに入った頃お寿司1ヶを1貫と言うのが不思議でした。
先輩方に問うと皆さん「すしに重みを持たせるためだよ。」との回答でした。
納得できないので更に問いますと蹴りかゲンコツが飛んできますのでそれ以上聞く事はありません。
寿司に関する本は多く読んだつもりですが未だ納得できる説に出会った事がありませんでした。先日読んだ本の中に面白い説が載っていました。以下はその抜粋です。
「寿司を数える単位を貫と言うのには幾つかの説が有りますがその一つに銭差し一貫というのが語源であるというのがあります。
江戸時代に穴あき銭96文に紐を通した物を銭差し100文と呼んで本来は96文なのに100文として通用したそうです。そしてこの銭差し100文を10個まとめた物を1貫として通用していました。この銭差し1貫の重さは3.6キロあります。銭差し100文でさえ360gほどあるのですがこの360gが当時のにぎり寿し一つの重さとほぼ同じくらいあった事から小さい物を大きく誇張する江戸っ子気質のしゃれで一貫寿司と呼ばれるようになり貫という単位の由来になりました。」
確かに当時の寿司を再現すると当店のすしの3~4倍ありますが1貫360gにはなりません。
せいぜい60~70gだと思います。でも当時のお寿司は3貫も食べたらお腹いっぱいになったそうです。一つの説としては面白いですね。

米酢と赤酢

寿司飯(舎利)を作るお酢は米酢と赤酢があります。
米酢はお米から作ります。赤酢は酒糟から作ります。
江戸時代米酢はお米から作るため高価な調味料でしたが江戸時代末期に酒糟から作る比較的安価な赤酢が考案されました。
この頃江戸前寿司が考案され急速発展したのは赤酢が出来たからではないかと私は思っています。太平洋戦争が始まるころまでは多くのすし店は赤酢を使っていました。
私が修業中に聞いたご高齢の職人さんの話です。「戦前はどのすし屋も皆赤酢を使っていたんだよ。戦争が激しくなってお米が手に入らなくなってすし屋はやってゆけなくなってね。白米のご飯は銀シャリと言ってそう易々と食べれなかったね。戦後すし屋を営業できるようになった時、赤酢を使うと舎利が黒くなるだろ、みんな銀シャリの白いご飯にあこがれていたから赤酢ではなく米酢を使い始めたんだよ。その頃は米酢も安くなっていたからね。今じゃほとんどのすし屋が米酢を使うようになったね。赤酢の店はもう数えるほどしか残っていないよ。」この話が真実かはわかりませんが私が紅顔の美少年だった頃聞いたお話です。

独断と偏見のねぎま鍋論

ねぎま鍋ができたのは江戸時代末期の事です。
江戸末期に沖合を流れている黒潮が少し陸地に近づいて流れるようになりました。
黒潮に乗って泳ぐ鮪も陸地の近くを泳ぐ事になります。たまたまそのうちの何匹かが間違えて江戸湾に入ってきました。漁師さんが釣り上げて魚屋さんが販売しました。
江戸の人は初めて鮪を食べたのではないでしょうか。
当時江戸の人達は脂質の多い食品は食べません。初かつおは食べますが脂質の多い戻りかつおは食べないのです。
(脂質の多い魚は下魚として扱われました。脂質の多い食品を食するようになるのは明治時代になり牛鍋を食べるようになってからです。)
鮪も赤身の部位は食しますがとろの部位は食べません。とろの部位は超格安で販売されました。(捨てたと言われていますが私は噓だと思います。)
庶民はそれを求めてねぎと醬油で鍋にして食しました。
もちろん色々試行錯誤した後だと思いますが江戸庶民の食への感性は凄いと思います。
ねぎま鍋は戦前までは庶民の食べ物でした。
戦後保冷技術、保冷機器、冷凍技術、冷凍機器の発達、食生活の変化によってトロが珍重され高価な食品となりねぎま鍋もいつしか高級料亭の献立となってしまいました。

   ねぎま鍋

 

 

笹切りの伝達

私が修業に入った頃はお届けのお寿司にも折詰のお寿司にも熊笹の葉を良く使いました。
今は色々な形のポリ製品が安価で使えるため笹切りの技術が忘れられてしまうのではないか危惧しています。
笹の葉から鶴や亀を切り出し化粧笹として使います。
時間がある時を利用して古新聞で練習していました。
何故笹の葉を使うのか聞いたことがあります。「笹の葉には断熱効果があって寿司の鮮度を保つのと、もしお寿司を食べて具合が悪くなった時笹の葉を焼き揉んで細かくして水と共に飲むとおなかの中の悪いものが全部笹と一緒に出てしまうからだよ。それと笹の緑が美味しさを際立たせるから笹を使うんだよ。」そう教えられました。
下剤効果は試したことが有りませんので虚実は定かではありませんが、鮮度保持と美意識は納得できます。
笹切り教本が本棚の隅の方でほこりをかぶっています。初心に帰らなければ。

 

43周年を迎える事が出来ました。

皆様のおかげ様で43周年をむかえる事が出来ました。一同感謝致します。
緊急事態のためお店として何も出来なく申し訳なく思っています。
毎年この日を迎えますと来年もこの日を迎えられるのだろうか思います。
我が身にいつ何が起きてもおかしくない歳となり、市場で親しくなった同業の方たちが72歳を過ぎたころから廃業されていかれたのを想いますと今は一日、一日を大切に過ごす事の大切さを思います。
緊急事態が1年以上も続き笑顔で皆様にお会いできていませんが、早く終息し皆様とお会い出来る事を願っています。本当にありがとうございます。

蝉の初鳴き

帰省してまた帰京する時決まって母は駅(停車場とよんだほうが似合っているような。今は廃駅になっています。)まで送ってくれます。
途中私が修業に出た翌日から毎朝母が私の無事と健康を祈っている社を通ります。
お詣りを済ませ再び蝉時雨の中を駅に向かいます。
少しづつ言葉少なになっていた母が誰に言うとでも無いような小さな声で「今年の蝉の初鳴きは7月23日やったな。」「………そう。」私もつぶやくように答えました。
当時千代田区のビジネス街で住み込みで修行中だった私にはとても蝉の声を聞く心の余裕が無く少し驚きでした。
もう50数年も経っているのに7月23日に蝉の声を聞くと母の淋しそうな声と顔が蘇ります。

だんらんでバッテラを

休みの日食事に出掛けられないため雑用で出掛けた帰り、デパ地下などでお寿司とおつまみを求めて帰宅するのが通例となりました。お寿司は関西すしのほうが回数多く求めます。何度か食べているうちに昔取った杵柄で作ってみようと思い立ち、「美味しく出来たら店でも出してみよう。」などと大それたことを考えます。
しめ鯖を作りバッテラ昆布を煮、高価な押し箱を求め準備が整いバッテラを作り始めます。押し箱にすし飯を入れようとしたその時足元が崩れる程の間違いに気がつきました。
「一番肝心な舎利(すし飯)の事を忘れていた。」
箱すしの味の8割は舎利です。
しめ鯖はにぎり寿司と比べると長く持たせるため塩時間、お酢への漬け込み時間が長いので酢をきつく感じます。
このため甘く煮たバッテラ昆布を乗せ、柔らかく炊き、甘く味付けした舎利を使います。
50年ぶりに作りましたバッテラは美味しくありませんでした。
「だんらんでバッテラを」はもろく崩れ去りました。

すし詰め状態の語源ですが

お酒類のご提供禁止が出て飲食店は苦境に立たされています。
3蜜を避けるよう国や都から何度も要請があります。
救われているのは「すし詰め状態を避けてください。」と言われない事です。
すし詰め状態というと押し合い圧し合い雑多に混み合っている美しくない状態を表しています。とても残念です。私はこの言葉の使い方を間違っていると思います。
独断と偏見ですがすし詰め状態の語源は関西すしからではないかと思っています。
私が修業に入店した店は関西すし(箱すし)も商っていました。
(私修業時代大丸東京店食品売り場で関西すしの実演販売をしていたことがあります。)
当時腕の良い関西すしの職人さんが居て、すしを押し箱から出し寿司切り包丁で切り、組み合わせて経木に乗せ、そのまま折箱に収めるのですが1ミリの誤差なくぴったりと折箱に収まるのです。その手際の良さと出来上がりの美しさは見事でした。
すし詰めとは美味しく美しい状態を表しています。
いつの間にか雑多で美しくない混雑状態を表す言葉になったのはとても残念な事です。
今回の騒動で3密が常用語となりすし詰め状態という言葉が死語になる事を切に願っています。