独断と偏見ですが〆鯖は白くなってからが美味しい

秋は〆鯖の美味しい季節です。
〆鯖はお酢に漬けて直ぐの切り口は綺麗な赤で美味しそうに見えます。
この時の〆鯖を食すると塩とお酢と生臭みを強く感じます。
食するとき生姜とネギが必要です。
ご存知のように〆鯖は3枚に下した後たっぷりの塩をかけ、その後水洗いしてお酢に漬け込むます。私たちはこれを「塩で〆て酢で殺す。」と言います。
使用するお酢は米酢ですからゆっくりと鯖に浸透してゆきます。
お酢が少しずつ浸透して塩を殺してゆきます。
身が白くなる頃、塩もお酢も生臭みも感じなくなります。生姜もネギもいりません。山葵で食せます。
良い塩梅となった時が〆鯖は一番美味しのです。でもその時は綺麗な赤色は無く、白くなっています。お客様には白くなった〆鯖は人気がないのです。私の修行中はお酢から揚げて2、3日してから使い始めていました。
鯖に少し赤色が残っている時が私は一番美味しいと思うのですが。

独断と偏見の孔子さんと私の比較論

孔子さんは論語の中で次のように言われています。
「吾十有五にして学を志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を跨えず。」
(私は15歳で学を志しました、30歳で学問で身を立てる事ができるようになりました、40歳で学問に対する迷いが無くなりました、50歳の時に自らの使命を知りました、
60歳の時には人の言葉を偏見無く聞けるように成りました、70歳になると自分の心のままに行動しても人の道を外さなくなりました。)
私の場合
「吾十有八にしてすし業を志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして未だ成らず、六十にして馬耳東風、七十にして天命を待つ」
(私は18歳ですし業の修業に入りました、30歳で独立しました、40歳の時他に出来る事が無いのですし屋を続けることにしました、50歳の時まだまだ未熟さを痛感しました、60歳で人の噂も気にならなくなり我が道を行く事にしました、70歳になるとそろそろお迎えかなとお待ちいたしております。)
70歳になり孔子さんと比べてそんなに遜色の無い人生だなと満足しています。

独断と偏見のみる貝論

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みる貝の旬が過ぎました。
今年はいつになく美味しいみる貝がお手頃価格で求める事ができ頻度多くケースに並べる事ができました。
お客様にお勧めしているうちに気がついたのです。いつの間にかみる貝の地位を白みる貝が奪っていたのです。みる貝は本みる貝と名前が変わっていたのです。
みる貝は正しくは「海松喰い(みるくい)」です。
みる貝は給排水管が体の大半を占めている貝です。
英語名はサイホンシェルと言いますが納得できます。
海で生活している時は給排水管だけ外に出し、本体は砂地に潜っています。その給排水管の口のところに食用にはなりませんが海松(みる)という海草が付着し成長します。水揚げした時あたかも海松を食べている様に見えるため海松喰いという名が付いたのです。
私が修業に入った頃(50年前)みる貝は一斗缶に山盛り入って500円でした。
今は1個も買えません。
みる貝が少しずつ高くなるに比例して、申し訳なさそうに市場の片隅にいた白みる貝の存在感が少しづつ増してゆき、今やみる貝の地位を奪ってしまったのです。
白みる貝には海松は付着ないのにどうしてみる貝と呼べるのでしょうか。
私は怒っています。

独断と偏見の青柳論

青柳は春の訪れを教えてくれる貝です。
水道の水が冷たくても、雪が降っていても、青柳が美味しくなれば「春が来た!」と感じます。
青柳は海にいる時は「ばか貝」と呼ばれます。ばか貝には申し訳ないのですが学名も「ばか貝」なのです。
ばか貝の名前の由来は以前は馬鹿みたいに沢山捕れたからという説と海底にいる時は殻を少し開いて舌のように身を殻から出している様が馬鹿に似ているという2説があります。私は2説の混合説を提唱します。
ばか貝はむき身になると呼称が青柳に変わります。
青柳の名前の由来ですが、江戸時代上総の国市原郡青柳村(現在の市原市)の海で沢山捕れ、むき身にして江戸に出荷したためこの名になりました。
青柳は二枚貝ですので貝柱が2つあります。大きさが少し異なっていて大きい貝柱を
「大星(おおぼし)」小さい貝柱を「小星(こぼし)」と呼びます。大星は高級すし店に小星は天ぷら屋さんに分けて販売されていました。今は小柱(こばしら)の名前で一括りとなって販売されています。今となっては大星、小星は死語になってしまいました。寂しい事です。

 

独断と偏見ですがさよりの旬は冬です。

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さよりの旬は春と言われていますが、私は冬、晩冬が正しいと思います。
北原白秋作詞、團伊玖磨作曲でさよりを歌った歌がありますがやはり春の情景です。
晩秋「えんぴつ」と呼ばれる小さなさよりから市場に並びはじめます。
少しづつ成長して寒くなると美味しくなります。
2月に入りますと近県、特に茨城県から昔でいう1尾50匁(約180g)の「かんぬき」とよばれる別格扱いのさよりが入るようになります。このさよりが美味しいと思います。
さよりは下ろすと身は白いのですが、かんぬきは透明感のあるうすい青色です。
難点は鯛や平目など足元に及ばないほど高価な事です。
4月に入るとさよりは抱卵します。すると下した身は白濁して冬の美味しさとは異なってきます。この頃産卵のため浅瀬に近づいて来るのでさよりの旬は春と言われているのだと思います。
白秋さんは色あせたさよりを見ながら詩を書いたのでしょう。
独断と偏見ですから不具合はご容赦お願いいたします

 

這ってでも40周年の日を迎えよう!

あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

8月が来ますと「すし屋のだんらん」は40周年を迎えます。
これまで支えて頂いたお客様、あや子さん、純ちゃん、健康な体を与えてくれた両親に感謝しています。

その少し前に私は古希を迎えます。
近頃は気力、体力、視力、記憶力が低下し、あや子さん、純ちゃんの力を借りて何とか日々を営んでいます。

開店して10年が過ぎた頃、あるお客様に「この店は開店して何年になるんですか?」と問われ「おかげ様で10年が過ぎました。」と答えると
「それはすごい事ですよ。飲食店で10年続いたのは偉大なりという言葉があるくらいですから。」さらに続けて「20年続くのは畏敬なり、30年は伝説なり、40年は奇跡なり、50年は神になると言うんですよ。どうぞ神になるまでお店を続けて下さい。」
私は笑いながら「お客様と健康に恵まれれば伝説ぐらい迄は続けられるかもしれませんがその先はとてもとても。」と答えたのが昨日の様な気がしますがもう30年も過ぎてしまいました。
私の技量ではとても神に近づく事はできませんが、もし許されるのであれば桜上水の片隅で神を目指してみたい。
今の私たち3人の合言葉「這ってでも40周年の日を迎えよう!」

独断と偏見の土瓶蒸しの召し上がり方

独断と偏見ですが土瓶蒸しは次のように召し上がっていただけると土瓶蒸しは嬉しいのではないかと思います。
土瓶蒸しが提供されましたら、お猪口に汁を注ぎそのままで召し上がってください。
先ずは松茸の香りを愛でてください。至福のひと時です。
このようにして何度か召し上がった後、今度は注いだ汁に酢橘を一滴搾って召し上がってください。一滴だけです。二滴はNGです。まろやかに変化した味を愛でてください。土瓶蒸しはゆっくり召し上がっていただく献立です。
蓋が手で開けられるようになりましたら具の食べごろです。
中は秋の味と色の宝石箱です。
新銀杏の緑、三つ葉の青、車海老の赤、鱧の白、そして秋の味の王様松茸の茶色です。一つ一つの色と味を愛でて食べて下さい。ゆっくりです。秋の夜は長いのです。
酢橘は最後まで土瓶蒸しの中に搾り入れることはありません。
常にお猪口に一滴ずつ搾って召し上がって下さい。
土瓶蒸しが提供されたら、いきなり熱い蓋を開け酢橘をこれでもかというくらい強く絞り入れ、さらに絞り切った酢橘を土瓶蒸しの中に放り込むのは止めましょう。感性を疑われます。
土瓶蒸しのテーマは秋の味と色と香りです。先達の感性に脱帽。

 

独断と偏見の新子論

小肌(正しくは鮗)の幼魚、新子は6月中旬には浜松市の舞阪漁港から入荷します。
高価なだけではなく小さすぎて私の技量では対処できません。
清水の舞台から飛び降りる思いで買い求めた事がありますが、どのように手当をしても美味しく出来上がりません。4尾も5尾も乗せて握ってくれるお寿司屋さんに行った事が無いので、どのように手当をしているのか知りたく思っています。
時おり「昨日新子が5尾乗っかてるすしを食べたけどうまかったよ。」とのたまうお客様がお見えですが「本当に美味いか?」と問いたくなります。
7月になりますと熊本、天草から新子が入荷します。3尾で1貫ぐらいの大きさから始まるのですが、上手に手当をすれば美味しく出来上がります。

私が修業に入った頃は旧盆が過ぎた頃から江戸前の新子が入荷します。
当時はまだ保冷技術が乏しく鮮度の落ちやすい新子を下ろすのは大変な作業でした。
1尾で1貫の大きさから始まるのですが、鞍掛に握るため背骨を究極まで取ることを喧しく言われました。
永く不思議に思っているのですが、なぜ唯一舞阪漁港からだけが早く入荷するのか。
舞阪漁港だけが「めだかぐらいの新子」を捕る技術を持っているのか。
舞阪漁港のホームページを開いても「新子のしの字」も出てこないのです。
仲買人の方に聞いたことがありますが「知らない。」で終わってしまいました。
私は古い職人のせいだと思うのですが、新子は1尾で1貫握ったお寿司が1番美味しいと思います。口の中で香りが広がり、舌にあたる柔らかさの美味しさは語彙の少ない私には表現できません。

手タレで出演しました。

今ユーチューブで「sushi boat」という競艇のコマーシャルがオンエアされています。
その中でお寿司を握っているシーンがありますが、握っているのは私です。
残念ながら手だけです。手だけの出演タレントなので手タレというそうです。
あるお客様が「おすしを握っているところを撮りたいけど、映るのは手だけなんですけど大将やってくれませんか?」
「やるやる任せて。」興味本位ですぐに引き受けました。
撮影当日指定場所に行きます。メイク室で手のチェック、衣装室で白衣に着替え撮影現場に。暗幕をくぐって中に入ってビックリ!何十人の方々が仕事をされています。
大道具さん、小道具さん、照明さん等等そこで初めて物見遊山で引き受けた事を反省しました。
「転ばないように足元を気をつけてください。ケーブルが沢山転がってますから。」優しい言葉に我に帰りました。
本番が始まります。一つ一つ握ってゆきます。調理補助の方が助けてくださいます。一つの場面が終わると衣装さんがすぐ着替えさせてくださいます。
どれくらいの時間が過ぎているのかもわからないほどの緊張の時が過ぎてゆきます。皆さん私の手を見ています。
「はい OK!お疲れさん」監督さんの一言で安堵の空気が広がります。
皆さんが「お疲れ様でした」「ありがとうございました。」と声を掛けてくださいます。
いえいえ「ありがとうございます。」は私が皆さんに言わなければならない言葉です。調理補助の方、衣装さんには本当にお世話になりました。
用意して頂いた帰りのタクシーの中から見る東京の夜景がとても綺麗でした。

お時間がありましたらアクセスしてみてください。
アクセスが多いと再度の依頼があるかもしれません。
今度はぜひ顔タレで。